明石山樹覚寺 浄土真宗本願寺派

〒326-0808 栃木県足利市本城3丁目2055 TEL:0284-21-4407 FAX:0284-21-6040
樹覚寺の紹介

お寺について

 足利には、百余ヶ寺の仏教系寺院があります。その一ヶ寺一ヶ寺に開創のおいわれ(開創の願い)があります。 今も、その願い実現のために活動をしています。
 では、明石山樹覺寺の願いは何でしょうか。
「越後の国から関東に、親鸞聖人の御旧蹟参拝に来た坊さんが足利を通りかかったので、皆集まって、念仏の話を聞かしてもらった。近辺に真宗の寺がないので、足利に留まって念仏の教えを説いてくれるように頼んだ。」と樹覺寺百五十年誌に書いてあります。
 樹覺寺は、「念仏の教えを聞かしていただくために、念仏を喜ぶ人(念仏の行者)が皆で創った寺、念仏道場」なのです。縁あって、門信徒となられた皆様がお聴聞なされますことが、樹覺寺が活動しているということになります。お聴聞が樹覺寺門徒の活動の証なのであります。
 本願寺の御門主様は、「形ばかりの寺、名ばかりの門徒であってはならない」と戒められています。活動している寺、活動している念仏行者でありたいと思います。

お寺の歴史

 樹覚寺の由縁は、親鸞聖人の関東にあるご旧跡を巡拝するため越後から開基となる宗覚法師が足利に立ち寄られた折に、「この足利の地は六、七里四方に浄土真宗の寺院がなく、ご宗意ご安心を聴くことが出来ないので、出来ることなら足利に滞留していただきたい」と越後の近況を知ろうとする者や出稼ぎの者たちが懇願し滞在していただいたことが起源とされています。
 そして、樹覚寺150年という歳月を顧みた時、江戸時代嘉永・安政年間から明治・大正・昭和・平成と、時代そして世相は移り変わっても、それぞれの時にお念仏と樹覚寺にご縁のあった方々が、それぞれの分に応じて力一杯支えてこられたからこそ、今この足利の地に念仏道場たる樹覚寺があるのです 。

年号 西暦 樹覚寺の歴史と活動
嘉永3年 1850年 開基「宗覚法師」親鸞聖人の関東旧跡を巡拝中足利に泊まる。
足利滞留を懇願され、布教を始める。
嘉永4年 1851年 築地本願寺出張道場として「樹覺坊」という名で足利藩に正式に届け出る。
安政2年 1855年 宗覚法師京都参り、本願寺第20代門主広如上人より、「樹覺寺」の寺号を賜る。
明治40年 1907年 11月本堂建立。
明治42年 1909年 「宗善法師」が第三世住職となる。
大正7年 1918年 親鸞聖人650回大遠忌法要を3日間厳修。
大正10年 1921年 鐘楼建立。
大正11年 1922年 本願寺大谷尊由台下揮毫の「明石山」山号額を掲額する。
大正14年 1925年 本堂裏石垣を改築し、墓地が整備される。
昭和21年 1946年 樹覺寺同信会を設立。地区世話人の依頼を開始する。
昭和23年 1948年 「宗信法師」が第4世住職となる。
11月「蓮如上人450回遠忌法要、樹覺寺住職継職法要」厳修。
昭和33年 1958年 宗祖親鸞聖人700回大法要に際し、「大谷光照猊下」のご巡教を受ける。
昭和35年 1960年 梵鐘の「再鋳法要」を厳修する。
昭和37年 1962年 樹覺寺仏教婦人会結成。
昭和39年 1964年 築地本願寺より布教使をお願いし、毎月18日の「常例布教」を始める。
昭和42年 1967年 「樹覺寺開創100年記念法要」「宗祖親鸞聖人700回大遠忌法要」を厳修する。
昭和50年 1975年 「親鸞聖人御誕生800年、立教開宗750年慶讃法要」を厳修する。
昭和56年 1981年 樹覺寺仏教壮年会を発足。
昭和61年 1986年 「純英住職」が樹覺寺第5世住職を拝命。
平成3年 1991年 「住職継職法要」「あけし会館落成慶讃法要」を厳修。
平成5年 1993年 この年より「樹覺寺門信徒追悼法要」が厳修される。
平成6年 1994年 「門信徒だより」第一号を発行。
平成7年 1995年 新規墓地45区画を造成する。
平成17年 2005年 樹覺寺の寺号を戴いてより150年となる。
平成27年 2015年 「あけしの郷(さと)」計画を推進する。
平成28年 2016年 この年より「響流十方法要~平和への願い~」を厳修する。
「樹覺寺親鸞聖人750回大遠忌法要」を厳修。
寺号 浄土真宗本願寺派 明石山樹覚寺
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
所在地 〒326-0808 栃木県足利市本城3丁目2055
TEL/FAX TEL:0284-21-4407 / FAXL:0284-21-6040
住職 佐藤 純英